気まぐれコラム

羽生九段と私

たった今、将棋の羽生竜王がタイトルを失した、という情報が入った。

えらいことである。
羽生九段なんてタイトル、違和感ありまくりである。


そもそも、私が将棋と本格的に向き合ったのは、高1の時。

クラスに「織原二段」という男子がいて、休み時間になると、男子は彼と将棋を
楽しんでいた。

それを横から眺めてはいたが、駒の動かし方しか知らない素人以前の実力なので
「太田もやらないか」の誘いは一切固辞していた。

そんな中、「太田はめちゃめちゃ強いらしい。おれらなどは相手にしてもらえないほど」
という、実にありえない噂が広がり、ついにはじきじきに織原二段から

「太田さん(なぜか、さん付けw)、今度一戦お願いします!」

とみんなの前で懇願されてしまったから、もう受けるより仕方ない。

時は一週間後、と約束し、少しでも軽蔑されないように、とその日直ちに本屋に向かって、
詰め将棋と大山康晴の定石の本を購入し、毎日毎日将棋盤とにらめっこ。どうしてこの手を
指すのか、という解説が、当時としてはきちんと書かれてた本だった。

電車の中では詰め将棋を3手詰から解いていくようにしていった。
今から思うと、期間こそ短いが、大学入試、いやそれ以上、アメリカ留学時ばりに必死に
勉強した経験に匹敵するものではなかったか。

結果はもちろん負けたが、織原二段から
「こんな面白い将棋、久しぶりに指せました。ありがとうございます!」

と言われ、それが僕の人生の1ページに「将棋」という項目が加わるきっかけとなった。

数年後、三段を取得したしばらく後に、羽生青年が七冠を達成。
これはまさにこの時!と三段免状の発行を将棋連盟に申請したものであった。

その数年後、地元新潟県上越市で開かれた将棋まつりで、当時の藤井竜王の色紙をもらったり
丸山忠久名人と対局も経験できたのは、人生でも非常に大きな思い出の一つであったが、

その後あまり人と指す機会もなくなり、将棋からは遠ざかったが、将棋界の順位戦であるとか
タイトル戦とかは、耳に入ってくるなりで関心は持ち続けており、

最近であれば、加藤一二三(ひふみん)や藤井新人王の活躍や台頭で、大きく将棋界が脚光
を浴びてることをほほえましく思っているところだった。

その矢先でこの事件。
「羽生無冠」
である。

タイトル100期を達成してくれるものと確信していたが、常にトップを維持するのは精神的
にも相当大変だろうと察する。いや、それに余りある。

年間3つタイトルをキープするだけでも凄く、それ自体この分野で第一人者であるが、
それを平均で33年間続けていることになる。どれだけこれが偉業なことか。

注目度も人一倍であるからプレッシャーも含め、じっと耐えに耐えた一年だったろうと思う。


まあ来年への楽しみ、かな。

来年の名人戦で獲得100期を達成すれば、より痛快ではないか!


私も昨年から自分なりに手掛けているものがあり、今年達成できると思っていた。

じっと耐え忍び、苦しい時期も相当な期間あったが、今年は成らなかった。


2019年に羽生九段とともに、会心の笑みを浮かべていたいと思う。